一本のからくり
雑感する葦の寝言
生き死にの果てに悟れる事ありや?
ひともとの葦枯れゆく水辺
人間は考える葦である。と、なんかパのつく苗字の昔のおっさんが言ってたそうで、
私は子供の頃、物を考えないと言うことを試みていました。
何回やっても失敗でした。
意識のある間は何かしら物を考えているし、考えないという行為自体が不可能みたいです。
生き死にの果てに悟れることあれど
枯れゆく葦に残す声なし。
昔、月の満ち欠けや四季の繰り返し、そして食物連鎖を見て、道徳的規範とそれを結び付けて、因果応報とか理由付けして輪廻転生を思いついた人がいたそうで、地獄や天国を想定するようになって、自然現象から乖離して体系化されて行ったのでしょう。
生き死にの果てに悟れる事も無く、
群れて枯れゆくひともとの葦
枯れ際に葦は思いました。
「俺は人間でなくてよかった。
無駄なことばかり考えて、意味なくそれに振り回されてさ、
じゃ、また来年、」
葦は多年草で地下茎が本体のような物、木と紙一重。
一つの水辺の葦が実は一本の葦ってこともあるかもしれない。
そうするとなんか、苗字にユの付くおじさんが、つながっているんだよ、って🎶、とかいいそうです。
今晩は、月見です。
なんちゃって心霊
虫も遊ぶ
知人の話。
子供の頃、寝床に入って眠ろうとした時、部屋に紛れ込んだ、でっかいハエがブンブン飛び回り、なかなか寝付かれない。しばらくすると、ハエは彼の頭の上の天井の竿縁の近くにとまった。
天井板の重ね目に一匹のちっこいハエトリクモが隠れている。ハエとの距離は僅かである。
クモは上手く隠れている積もりだが、ハエは気付いている様子、ハエは何を思ったか、片方の羽を内側に折り曲げてジッジッと羽を鳴らせてみせる。
怪我をしたふり?
するとクモは隠れている場合からハエに走り寄る。その瞬間、ハエは羽を元に戻しブンブン音を出す。ハエは慌てて元のポジションに戻る。しばらくその繰り返しである。
でっかいハエは、ちっこいハエトリグモをバカにして遊んでる。
彼はそれを見ながら思った。
「あいつら仲良く遊んでるなあ」
と。
ハエトリグモはともかく、ハエはちっこいクモをおちょくって遊んでる。
ハエも物を考えているんだ。
なんかほっこりしたと彼は言っていた。
でも私はこの取り合わせ、ビジュアル的に絶対NG‼︎
次に私の話
部屋でゴキブリを見つけたら、容赦無く叩っ殺す。その時のゴキブリの行動って個体差を感じる。素早いやつと鈍臭いやつ、挑発的なやつと臆病なやつ、そこまで言うと彼は私の言葉を遮って、ポツリ、
「部屋はきれいにして、手は必ず洗ったほうが良い。それに俺はスプラッタはビジュアル的にNG」
3.03cmの虫にも1.515cmの魂
怪奇話の多い神社4(祟りの噂)
松の木が鬱蒼と茂っていた日枝神社も雷より大きな厄災には勝てなかった。
1934年(昭和9年)近畿地方を襲った室戸台風は、この地方を直撃して甚大な被害を与えたそうである。
台風通過のあとに村人たちは驚いた。
神社の森がぽっかり穴が開いたようになっていた。
村人が神社に駆けつけると、何本かの松の巨木が、幹の真ん中からあるいは根元から倒れていた。
見る影も無い有様であったという。
鎮守の森の木々は、長い歳月を経て競い合いながら、やがて一本の木のような姿になる。競い合った末に一体化した一つの命となることで、神霊の鎮座にふさわしい姿になる。
いや、そこに神そのものの姿を昔の人は見ていたのではないか?
当時の村人にとっての喪失感は想像に難くない。
余談になるが、松の木は、山奥、平地の人里、海辺ではその姿は異なる。
能の鏡板に描かれた松の木は、梢から新山・人里・海浜の松の姿を表わしているという。
昔の多くの立華師が、今生の立華の立て納めにしたという松一色は、鏡板と同じく、これまでに学び尽くして来たすべての松の姿を、一つの花瓶に表現するという。
長々脱線したが、里山や村里で、庭の松のように剪定されることなく、自然に巨木化したものは、直幹というか幹がまっすぐなものが多いらしい。見た目の風情は乏しいが、大切な建築用材として使われるという。
村の寄り合いで評議の結果、村人は倒木を業者に売り渡すことにした。
その時の村役の一人が、被害を免れた松を何本か伐採して売り渡すことを提案したらしい。
それが実施されたのだから、無断ではなく、村の同意があったからであろう。
伐採された松の木は、倒木の恐れがあったからであろう。
その家には跡取りがなく、養女に養子を取り、血筋そのものは絶えてしまった。
悪く言うものは、松を伐採したから祟りを受けたなどと言う。
祟りばなしはこんな事に尾鰭が付いて出来上がるものもあるのだろう。
これは伝聞であり、聞き違いや私の思い違いもあるのだろう。
偶然起こった不幸に後付けされた話だと思う。
お迎え現象?少し違うかもしれん
祖父の話
お迎え現象という記事で、ふと思い出したことです。
祖父が亡くなったのは、私が大学に入った年の3月のことでした。
大学からの合否通知を待つ、2月の終わり、私は久々に庭に出て、椿や水仙の咲き誇る中で陽の光を浴びていました。
祖父は、家の横にある果樹や野菜を作っている畑に出ています。
そろそろ家に入ろうかと思っていると、祖父が畑から帰って来ました。
足元がおぼつかなくて倒れそうになっているので、急いで駆け寄ると、崩れるように倒れ込みました。
私は祖父に肩を貸して玄関まで連れて行きました。
「爺ちゃん、大丈夫か?」
「なんや知らんけど足に力入らんようになったんや」
家の中に祖母と母がおりましたので、2人を呼んで、布団を敷いてもらい、3人で祖父を寝かして、かかりつけ医に連絡して、往診を求めました。
田舎の事で、救急車を呼んでということはしなかった時代でした。
お医者さんが来て、診察、脳卒中とのこと、
布団に寝かされた祖父は祖母に、
「ターちゃん力強なったなあ!わしをヒョイと運んでくれたで、もう二回もターちゃんに運んでもろた」
このちょうど1年前の春休みにも、祖父は倒れました。
昼食後、火鉢の前の祖父の指定席にいつものように座ってタバコをふかしていたいた祖父が急に、
「あっ!妙なことになって来た」
と言いながら、
横倒しに体を崩して、倒れ込みました。これが最初の発作でした。
その時も私は祖父の側におりましたので、寝所まで祖父を連れて行きました。
こんな場合本当は動かせることは良くないのかもしれませんが……。
一回目の発作の際は一週間ほどで祖父は元気になりましたが、今回はかなり重いようでした。
祖父が2度目に倒れる一週間ほど前、祖母は観音様の夢を見たそうです。
目の前に現れたのは、三十三箇所のご詠歌の本に描かれていた京都の宇治市にあるお寺の観音様だったそうです。
その時、祖母は目が覚めてしまい、目に映る天井の竿縁と竿縁の間の天井板に一体づつ、三体ならんで金色に光る観音様が闇の中でしばらく見えていたそうです。
観音様の姿が少しずつ消えていき、見えなくなった時、祖父が目を覚ましているようなので、
「今観音様の夢見たで。目え明けてもまだ天井に見えてたんや」
祖父は、
「そうか?わしは鳥の夢見た。五色言うんか美し色の大きな鳥やったで。鳳凰の形やったんや。家の中に飛び込んで来たよってリョウ(私の父)に捕まえさせたけど、リョウは底の無い桶で伏せてるよって、『そんなもんで伏せたら逃げるで』言うたところで目え覚めた」
その前日くらいだったと思います。
母が私に夢の話をしました。それは母の後ろから聞こえてくる声だけの夢だったそうです。
「私な、みんなでご飯食べてる夢見たんやけど、私の後ろから女の人の声で『おじいちゃんはもう寿命が尽きかけています。おじいちゃんはご飯食べてる時に咳をすることがあるけれど、その時に喉に物を詰まらせて亡くなるかもしれません。おじいちゃんが咳き込んだら、心の中で、お経かお念仏を唱えてあげなさい。そうしたら咳は止まります。おじいちゃんが安らかに往生出来るように必ず唱えてあげてね』そういうから、あんたもおじいちゃんが咳き込んだら、お経かお念仏唱えてあげて」
そう言われました。
それまで、祖父が食事の時口を押さえずに咳をすることに苦っていた私だったから、この話は母の創作かと思っていましたが、それからは祖父が食事の時咳き込んだら心の中でお念仏を唱えました。そうすれば不思議と2〜3回で咳が止ます。
祖父が亡くなったのは、三月三日、祖父が会いたい身内のほとんどが枕元で見送りました。
臨終の時の最後の吐く息、今でも覚えています。見事な大往生でした。
余談ですが、あくる日、私は大学の入学金と授業料を納めに行かなければならなかったのでした。
無事にお金を納めて帰りの電車の中で、何とはなく山並みや早春の花々が咲いているのを眺めていました。朝方の曇り空が嘘のように、車窓の景色は陽光に包まれています。
祖父が亡くなったことさえ忘れて景色に見入っていました。
気が付くと私の目から涙が止めどなく流れ落ちています。
僕は何故泣いているのだろう?
そうだ。祖父が亡くなったんだ。
その時は、涙を流している自分を訝しくさえ思っておりました。
塔を掛ける
大乗仏教では、塔を建立するという事は大変な功徳になるといわれています。
私の知っているあるお寺では、多宝塔に始まり、三重の塔も、今のご住職さんが一代で建立されています。
先日、久々にこのお寺へお参りすると、また新しい普請が始まっていました。
このお寺は、元々庫裏と朽ちかけた本堂があるだけの寂れた山寺でした。
今のご住職さんになってから、山門の建立に始まり、大師堂・多宝塔の建立、本堂・鐘撞堂の改築、会館や宿泊施設など、小さい頃お参りした時の様子から見て、全く別世界のような趣きです。
新しい普請は、薬師寺の三重の塔のように、各層に裳階を付けた三重の塔らしいです。
完成すると、一つの寺院に三つ塔があるお寺になります。
これはご住職さんの努力と数々のご縁によって初めて出来た事だと思います。
塔を建立することを塔を掛けるとか、掛塔すると言います。
禅の世界で掛塔といえば、修行僧として入門された人を大悟徹底するために教え導く事、いや、入門させる事を言うらしいです。修行されて悟りを開くとまではいかなくても加行を成就されれば仏様という事になります。仏様になれば、凡骨が仏舎利になると考えれば、そのお舎利を納める器が塔と言う事になります。
建築物である塔を建立することと、生きた人を仏の道に入門させる事と、今の時代ではどちらが大切か?
少し思うところはありますが、それは口にしない事にします。
今の私には、どちらも出来ませんから……。
このご住職さんの跡継ぎの若住職さんはご養子さんで、ご住職さんとは血縁ではありません。
ただ若住職さんには御子息が二人おられて、どちらもご僧侶を目指しておられます。
ご住職 さん、もう二つ塔がお寺に出来ますよ!