お迎え現象?少し違うかもしれん
祖父の話
お迎え現象という記事で、ふと思い出したことです。
祖父が亡くなったのは、私が大学に入った年の3月のことでした。
大学からの合否通知を待つ、2月の終わり、私は久々に庭に出て、椿や水仙の咲き誇る中で陽の光を浴びていました。
祖父は、家の横にある果樹や野菜を作っている畑に出ています。
そろそろ家に入ろうかと思っていると、祖父が畑から帰って来ました。
足元がおぼつかなくて倒れそうになっているので、急いで駆け寄ると、崩れるように倒れ込みました。
私は祖父に肩を貸して玄関まで連れて行きました。
「爺ちゃん、大丈夫か?」
「なんや知らんけど足に力入らんようになったんや」
家の中に祖母と母がおりましたので、2人を呼んで、布団を敷いてもらい、3人で祖父を寝かして、かかりつけ医に連絡して、往診を求めました。
田舎の事で、救急車を呼んでということはしなかった時代でした。
お医者さんが来て、診察、脳卒中とのこと、
布団に寝かされた祖父は祖母に、
「ターちゃん力強なったなあ!わしをヒョイと運んでくれたで、もう二回もターちゃんに運んでもろた」
このちょうど1年前の春休みにも、祖父は倒れました。
昼食後、火鉢の前の祖父の指定席にいつものように座ってタバコをふかしていたいた祖父が急に、
「あっ!妙なことになって来た」
と言いながら、
横倒しに体を崩して、倒れ込みました。これが最初の発作でした。
その時も私は祖父の側におりましたので、寝所まで祖父を連れて行きました。
こんな場合本当は動かせることは良くないのかもしれませんが……。
一回目の発作の際は一週間ほどで祖父は元気になりましたが、今回はかなり重いようでした。
祖父が2度目に倒れる一週間ほど前、祖母は観音様の夢を見たそうです。
目の前に現れたのは、三十三箇所のご詠歌の本に描かれていた京都の宇治市にあるお寺の観音様だったそうです。
その時、祖母は目が覚めてしまい、目に映る天井の竿縁と竿縁の間の天井板に一体づつ、三体ならんで金色に光る観音様が闇の中でしばらく見えていたそうです。
観音様の姿が少しずつ消えていき、見えなくなった時、祖父が目を覚ましているようなので、
「今観音様の夢見たで。目え明けてもまだ天井に見えてたんや」
祖父は、
「そうか?わしは鳥の夢見た。五色言うんか美し色の大きな鳥やったで。鳳凰の形やったんや。家の中に飛び込んで来たよってリョウ(私の父)に捕まえさせたけど、リョウは底の無い桶で伏せてるよって、『そんなもんで伏せたら逃げるで』言うたところで目え覚めた」
その前日くらいだったと思います。
母が私に夢の話をしました。それは母の後ろから聞こえてくる声だけの夢だったそうです。
「私な、みんなでご飯食べてる夢見たんやけど、私の後ろから女の人の声で『おじいちゃんはもう寿命が尽きかけています。おじいちゃんはご飯食べてる時に咳をすることがあるけれど、その時に喉に物を詰まらせて亡くなるかもしれません。おじいちゃんが咳き込んだら、心の中で、お経かお念仏を唱えてあげなさい。そうしたら咳は止まります。おじいちゃんが安らかに往生出来るように必ず唱えてあげてね』そういうから、あんたもおじいちゃんが咳き込んだら、お経かお念仏唱えてあげて」
そう言われました。
それまで、祖父が食事の時口を押さえずに咳をすることに苦っていた私だったから、この話は母の創作かと思っていましたが、それからは祖父が食事の時咳き込んだら心の中でお念仏を唱えました。そうすれば不思議と2〜3回で咳が止ます。
祖父が亡くなったのは、三月三日、祖父が会いたい身内のほとんどが枕元で見送りました。
臨終の時の最後の吐く息、今でも覚えています。見事な大往生でした。
余談ですが、あくる日、私は大学の入学金と授業料を納めに行かなければならなかったのでした。
無事にお金を納めて帰りの電車の中で、何とはなく山並みや早春の花々が咲いているのを眺めていました。朝方の曇り空が嘘のように、車窓の景色は陽光に包まれています。
祖父が亡くなったことさえ忘れて景色に見入っていました。
気が付くと私の目から涙が止めどなく流れ落ちています。
僕は何故泣いているのだろう?
そうだ。祖父が亡くなったんだ。
その時は、涙を流している自分を訝しくさえ思っておりました。