祟り物の怪、2

私がその事をおぼろげながら知ったのは、祖母の昔話であった。

孫の守りのため昔話を聞かせてくれるが、話は尽きてくるもので、近隣で起こった出来事や、家族の昔話などが多くなる。

そこで、祖父の事も話の種となった。

昔は、近隣の村とよく争い事があった。

特に、水争い。

これは深刻なものであった。

古い先祖の話でも、近隣の村と争った時、攻めてきた隣村の村人たちを、村の寺の境内に誘い込み、監禁し人質にして、相手を屈服させたという話、うちの先祖が村の代表で、これを取り仕切っていた。

このため、その先祖が死んだ時は、相手の村人は三日間仕事を休んで祝ったという話。

明治・大正の世でも、争いは、絶えなかった。

祖父も水争いというか、水喧嘩に参加して暴れまくった事があった。

しかし、この頃には警察が厳しく取り締まり、祖父も村のその他の若い衆とともに警察に連行されて事情聴取された。

そして、自分が長男だと思っていた祖父は、実は次男であることが判明した。

祖父は曽祖父の後妻の子で、長男は先妻の子であった。

先妻は、曽祖父との間に男女2人の子を設けたが、先妻は間も無く病死してしまった。

そして、後妻に入ったのは、私の曽祖母である。

曽祖母は、二人の子供の継母になった。

そして、子供たちにかなり辛く当たっていたらしい。

具体的にどうだったかは、聞いていない。

話を聞いたのが、私は曽祖母に凄まじくいびりを受けたと主張する祖母だったから…。

祖母の性格から見て、負けるタマではない。

多分鬼嫁だっただろう。

祖母の話のオチは全部いびりの返り討ちだったし…

曽祖母は私の生まれる前に、とっくに他界しており、そっちの言い分は聴きようもない。

ただ、父親や叔父から聞いた話では、曽祖母は全く気の回らない人だった。

仕様もない事を言ってはやり込められて凹んでいたそうである

だから、曽祖母と先妻の子供たちの間に起こった出来事を簡略に述べる。

曽祖父は曽祖母が嫁いできて間も無く、疫痢に罹った。

曽祖母は、下の世話から汚れた衣類の洗濯まで全部子供たちにさせた。

そして、曽祖父は助かったが、子供たちは二人とも疫痢に感染して亡くなってしまった。

曽祖母が継子たちを殺したということになる。

子供たちにしてみれば、他人であるこいつに親を取られてなるものかと、曽祖母を曽祖父のそばに近づけなかったのではなかろうか。

先妻の実家も、村の人たちも曽祖母が子供達を殺した。当然そう思うだろうし、恨みも深く、あの家は人殺しの家というレッテルが貼られて、末代まで言われる事になった。 

「曾祖父さんの話やったらな、その先妻さんは、病気になる前はお福さんみたにな、福々しい顔してたんやし。

お前の見たんはその人やろな。

自分は死んでも子供らは残る思てたのに、二人とも死んでしもた。そら恨むわな。」

子供の時は何気無く聞いていた。

先妻さんや子供達の年忌も、とうの昔に100回忌を済ませた。

しかし、我が家はこれよりもっと以前からずっと、代々、長男が生まれないとか、早死にする。

曽祖父も長男ではなかったし、その先代は入り婿である。

そう、もっと前から、何かがあったようだ。

「積善の家には必ず余慶あり。

積悪の家には必ず余殃あり。」

易経か何かの言葉を思い出す。

祟られているとか呪われているとか、そんな言葉には、自己反省が欠如している。

被害者意識そのものである。

しかも自分の今を先祖のせいにすることは、自己逃避…。

家の積善・積悪に左右されたとしても、自分は自分である。