怪奇話の多い神社4(祟りの噂)

松の木が鬱蒼と茂っていた日枝神社も雷より大きな厄災には勝てなかった。

1934年(昭和9年)近畿地方を襲った室戸台風は、この地方を直撃して甚大な被害を与えたそうである。

台風通過のあとに村人たちは驚いた。

神社の森がぽっかり穴が開いたようになっていた。

村人が神社に駆けつけると、何本かの松の巨木が、幹の真ん中からあるいは根元から倒れていた。

見る影も無い有様であったという。

鎮守の森の木々は、長い歳月を経て競い合いながら、やがて一本の木のような姿になる。競い合った末に一体化した一つの命となることで、神霊の鎮座にふさわしい姿になる。

いや、そこに神そのものの姿を昔の人は見ていたのではないか?

当時の村人にとっての喪失感は想像に難くない。

余談になるが、松の木は、山奥、平地の人里、海辺ではその姿は異なる。

能の鏡板に描かれた松の木は、梢から新山・人里・海浜の松の姿を表わしているという。

昔の多くの立華師が、今生の立華の立て納めにしたという松一色は、鏡板と同じく、これまでに学び尽くして来たすべての松の姿を、一つの花瓶に表現するという。

長々脱線したが、里山や村里で、庭の松のように剪定されることなく、自然に巨木化したものは、直幹というか幹がまっすぐなものが多いらしい。見た目の風情は乏しいが、大切な建築用材として使われるという。

村の寄り合いで評議の結果、村人は倒木を業者に売り渡すことにした。

その時の村役の一人が、被害を免れた松を何本か伐採して売り渡すことを提案したらしい。

それが実施されたのだから、無断ではなく、村の同意があったからであろう。

伐採された松の木は、倒木の恐れがあったからであろう。

その家には跡取りがなく、養女に養子を取り、血筋そのものは絶えてしまった。

悪く言うものは、松を伐採したから祟りを受けたなどと言う。

祟りばなしはこんな事に尾鰭が付いて出来上がるものもあるのだろう。

これは伝聞であり、聞き違いや私の思い違いもあるのだろう。

偶然起こった不幸に後付けされた話だと思う。