財政再建団体寸前のふるさとですか?
ふるさとは誰にでも同じものではない。
懐かしむ人もある。そうでない人もいる。
こんな人がいた。
元々ウサギなど住んでいるのを見たこともないが、宅地造成で緑を失った、かの山
小鮒はすでに生息しているかどうか疑わしい、セメントで固められ浄化能力のない、かの川
ちっちゃい利権に群がる欲の皮突っ張らかしたガリガリ亡者が集うふるさと。
雨に風につけても、滅んでしまえ。消えてなくなれと呪い続けるふるさと。
またですか?
一体何があったんです?
聞いてみると、久々訪れた故郷がえらいことになっていたのだそうだ。
河川改修で国から補助金得るために、役場と業者が結託して、川底にまでコンクリートを貼り付けてでっかいドブにしてしまっていた。
人権絡みだったから、変だと思っても誰も声を上げなかった。
工事反対=人権侵害
反対者=差別者
になりかねないからだとか、
その辺の理屈はよくわからない
もちろん、その人の意見が正しいのかそうで無いのかわからない。というか、その辺は興味ない。
ただこの人のふるさとでの境遇って凄まじいものがあったような気がする。
田舎の古い家はプライバシーの保てないというか、プライベートを否定する構造だった。
田舎は精神衛生上良くない人間関係と、ヒーリング効果のある自然のバランスでどうにかこうにかの場所、
村落共同体の因習、閉鎖的に人間関係。
唱歌「ふるさと」なんて、やっと逃げ出すことが出来たと言う余裕から生まれた歌っぽい。
山や川が死んでしまえばそこで生活する価値など全くない。デメリットしかないからである。
彼はその少し興奮気味で言葉を続けていた。
人権絡みで批判するのはリスク高すぎでしょ。大義名分の怖さ知らないでしょ?
けど、人権擁護って言葉、不謹慎ながら私が連想するのは動物愛護センター。
言葉など、知らぬ間に真逆の意味に
すり替えられていたりするのではなかろうか?