四天王寺の守屋祠(願成就宮)

数年前に渋川廃寺跡に行ったことがあります。

仏教徒、特に坊さんからは、物部守屋大連さんは、今でも目の敵にされています。

鎌倉時代の親鸞さんも守屋さんの事をボロクソに言ってます。

和讃の中で

「守屋カ邪見ヲ降伏シテ。佛法ノ威徳ヲアラワセリ。イマニ教法ヒロマリテ。安養ノ往生サカリナリ

如來ノ遺教ヲ疑謗シ。方便破壞セムモノハ。弓削ノ守屋トオモフヘシ。シタシミチカツクコトナカレ」

と書いてます。

その守屋さんがお寺を造っていたらしい。

しかもかなり大きなお寺だったということです。それが渋川廃寺。

物部氏は本来、霊的なものを掌握していた氏族だったそうで、そうだとすれば、

新しく入って来た仏教も、物部氏が管理するモノの一つだったと考えられます。これは私の生半可な知識で、戯言として聞き流してくださいね。

その頃の政治・外交で考えられる呪詛や厭魅、蠱毒などが施されているかもしれない(多分されていた)モノをお祓いして、お清めすることで、無害なものにするのが物部氏の役目だったとすれば、

渋川廃寺は、ひょっとして石上神宮などと同じような役割の施設だったと思うのです。

そう考えれば、堀江に仏像を鎮めたことも、尼僧を鞭打ったことも、人形流しや、狐憑きの祓いと同じだったのかもしれません。

半島から持ち込まれた一光三尊仏像=呪いの人形、形だけの尼僧によるその仏像への礼拝=憑依状態が起こる。仏憑きか?

仏像は、何か知らんけど、何と無くありがたい外国の神様という認識しか当時はなかったようですから。

それを祓い清めるのが物部氏のお仕事だった。結果廃仏論者と見なされた。歪曲されて歴史に記された。

この辺は藤原不比等の陰謀だったという説もあるそうです。

四天王寺に守屋祠があります。 

四天王寺というお寺は不思議な佇まいを持っています。

私にはお寺のように作られた神社に見えます。

そして守屋祠こそが本殿であると感じられます。

守屋祠は、四天王寺願成就宮と呼ばれています。

守屋さんの霊が四天王寺建立に力を貸してくれたという伝承が残っているためです。