右脳を活性化させるために創り出された習い事

いけばなとか、お茶を習っている人は外国でもかなり多くなっています。

お茶が美味しいから、花が綺麗で好きだから、という理由ではないらしいのです。

特にいけばなは、ヨガとか坐禅などを学ぶことと同じ意味合いで、

前衛などではなく、伝統的な手法の物を、しっかりとしたノウハウを持った流派で学ばれる方が多い様です。

その辺りは日本の方よりも真剣に流派の選択をして学ばれる方が多く、深くまで体得されているようです。

それに関連して思い出したのですが、10年以上前になりますが、右脳で絵を描くことの指導書が、書店で並んでいたので購入して読んだことがありました。

書かれていることは、人物画を描く時は、顔とか手とか足とかいう部位を意識して描こうとするのではなく、描こうとする対象の外の空間を把握するというものでした。

そのものを描くのではなく、そのものが作るネガティブスペースをつなぎ合わせる事の方が正確にものの形を把握できるということでした。

それと同じく、いけばなだと、生けた植物を見せるのではなく、植物によって作られたネガティブスペースをどう活かすか?ということを追求することが一つの目的であるのだと思います。

フラワーアレンジメントが主に花を主体にしているのに対して、いけばなでは木の枝振りや葉の風情を重視します。

まあ、伝統流派の中でも、植物を人間の道徳観念で植物を支配する。

自然界の植物は正しい姿をしていないので、正しい姿にしてやるのだ。という流派と、今目の前にある植物の姿から思い浮かべる自然環境を表現したいという想いを表現することを追求する流派の二つの系統に大別されるように思います。

道徳型の流派は左脳的であり、自然憧憬型の流派は右脳的な感じを受けます。

いけばなに儒教道徳や仏教思想が結びついたのは、江戸時代の三大改革の弾圧を躱すサバイバルための方便で、比較的新しい流派でした。

どちらも優劣はないです。ロジックかインスピレーションか、どちらかを選択する事になります。

茶の湯はシステム化、簡略化された身体動作と集中力アップにつながるとして、政治家や実業家たちが好んで習っています。

そういう方々の中には、畳の目数で御点前に使われる道具の寸法や置き合わせの位置関係を測るという事で、物事の観察眼や観察力を養っている方もいるとのこと、家に帰ってから正確に絵に描くなどという、かなりマニアックなこともするそうです。

滅多にはないですが、ワークショップなどが催された時には一度参加されたら何か発見があるかもしれません。