希望という名の不安定

(脈絡なくだーらりとした文章ご勘弁、

ついでに時々飛んでます。)

希望って?

街角のポスターの一言、「安定は希望です」だったかな?


安定なんて所詮叶わない夢って言い切っているんだよね。


希望は、冀望とか稀望と書くこともあるみたい。

冀望だとそうあって欲しいと願うこと。

稀望とか希望だと実現する事が極めて少ない望みの事になる。


でも、小学校で稀望とか冀望とか書いたらペケポンね。


私ゃひねくれものだから、こんな言葉をポジティブに聞く耳など持ちゃしないんだ。


なんか仏教用語じゃこれって(けもう)って仮名振ってたよ。


ちなみに平等は仏教用語の(びょうどう)と読むが、(へいとう)も当然有り、昨今お騒がせの朝日新聞にも昔、(びょうどう)だけが正しいと思い込んでいるのか、単なる悪意なのか知らんけど、(へいとう)という読み方を笑いにしたバカ漫画が載ってた。なんか胸糞悪かった。

さすが朝日新聞だよ。こんなのに四コマ書かせている。


今の世の中の常識じゃ(けもう)は間違いってことになるんだろうな。あ、受験があるから仕方ないのか?

なるほど……!


パンドーラの箱の中に最後に残った奴が希望だったというけど、残った奴「エルピス」だったかな?

希望とも予知とも言われているって先ほど知った。


今年もこの花咲きました。

ジャ〜〜ン


田舎ではおなじみのお花

で〜〜〜〜〜〜す!

大阪市内でも時々見かけます。

秋ですねf:id:Ryukeyjunken:20140922133707j:plain

拡大すると、リコリスの花の特徴が

f:id:Ryukeyjunken:20140922133944j:plain彼岸花とか曼珠沙華とかおなじみのお花で

昔は救荒作物として栽培されていたそうです。

水仙と同じく、リコリンというアルカロイドが含まれていますが、澱粉を沈殿させて何度も水で晒すと無害になるそうです。

飢饉には食べたと言われます。

因みに、蒸して食べると美味しいのが、葛の地下茎らしいです。

サツマイモの茎も含めて、食べられるものをなんでも活用して、自然の脅威を乗り越えてきた私たちのご先祖様に思いを馳せる日が、明日秋分の日です。



七坂の女

f:id:Ryukeyjunken:20140920225952j:plain随分秋めいてきた、ある夕方、用事があって美章園の駅から桃谷まで歩いた。桃谷で用事を済ますとすっかり夜、 警察病院の前の道を浪速区まで歩く。 電車に乗っても、歩く距離はほとんど変わらない。NTT病院前の坂道をえっさか歩いていると、警察病院。行き来する人影もない。車すら通らない。物音すら聞こえない。でも、こんな日もあるよな、ってあり得ない納得をしていた。 上町筋でふと後ろを振り返ると丸い月が登っていた。 中秋の名月か? 携帯で旧暦を確認すると今夜はお月見前夜だった。 それは見事な月だったな。 それにしても、この街中で、人とすれ違うこともなかった。 なんとも妙な気分だ。ここでふと、私は愛染坂を下るか、口縄坂を下るか、迷ったんだ。 この道のどん詰まりは谷町筋四天王寺前夕陽ヶ丘という、谷町線によくあるハイブリッドな名前の駅がある。 頭の中は、喜連瓜破とか野江内代とかいう駅名を思い出している。多分四天王寺前夕陽ヶ丘という名前が一番長そうだ。などと考えていた。 依然人影も車の行き来もない。 私は信号待ちでふと左の前方に目を遣っていた。口縄坂を下る道が一番住処に近いのだが……。 なぜか愛染坂のほうが気になった。 月が綺麗だ遠回りしようって、馬鹿で間抜けな事を考えた。 そう、月は私の背後にあるんだ。 でも、信号が変わり横断歩道を渡ると六万体の方に歩を進めていた。ここでは月を少し見れた。 そして愛染坂の方に曲がって、源氏堂の前を歩くが依然人影もない。シーンという耳鳴りだけがうるさかったよ。 愛染坂は大江神社の脇にある。 何気に坂道を降りようとすると、前方約十メートル辺りに女の人が坂を下っている。 思わず鳥居の脇で立ち止まったよ。 定番と言うか、鉄板と言うか?その人、白のワンピに黒のロングヘアー、当然私は鳥居の方をくぐった。 そして拝殿を遥拝して、神社の階段の方に走ったよ。 そして、注連縄掛けをくぐり、階段を降りようとすると、 さっきの女の人が階段を下っていた。 そこで私はそっと引き返して、拝殿の前に行き、もう一度参拝、今度はお賽銭を上げて、きっちり二礼二拍手一拝、谷町筋に戻ると、何時も通りに人が歩いている。 なんだったんだ? 口縄坂の道の方に戻ると、地下鉄の駅から出てきた人が数人口縄坂の方に行く。そこで私は、その人たちとともに坂を下って住処に帰った。ミニストップの明かりを見ながら、帰りの曲がり角に入ると、私の後ろから「なぜ引き返したの?」と声がかかった。なんかハウリングかかった声だった。何気に振り向くと女が立っていた。ワンピでロン毛の……顔に髪の毛がかかっていて口しか見えない女の人が。 声は出なかったね。 五十メートルダッシュして住処に辿り着き階段を4階まで駆け上り、もたつきながら部屋の鍵を開けて飛び込み、しっかり施錠して、朝まで震えていたよ。 なんだったんだ?あれは……。

江戸時代いけばなサバイバル戦略

いけばなに、五行格とか三才格とか、天円地方とか、とってつけたような中華味がつけられたのは、サバイバルの為だったって知ってた?

ついでに体用相応とか言う何かカレー味な言葉もある。

主には、享保・寛政・天保という三代改革に代表される幕府からの締め付けで、

庶民から武士まで贅沢禁止ということで、

芸道関連で槍玉に上がったのが歌舞伎などとともに、当時の抛入花で、これは茶花から始まり、後の流儀花(御生花・格花)の母体となったいけばなで、

茶花をいけばなとして独立させて、サイズを大きくし、処理しやすいように長短2つけたの線を基準に構成されるように改良し、茶室以外の座敷の花に発達させたもので、茶花より見応えがあり、立華・立て花よりは簡略で手頃ないけばなとして都市圏だけでなく、街道経由で全国に広まっていったそうである。

初期は様式化や形式が未だ確立していなかった。(近現代の盛花由来の投げ入れ花ではない。)

禁令に触れそうなところを儒教思想や仏教思想を表現していると言ったり、お公家さんや門跡寺院などに献金して、それらしい(御花方みたいな)役職名や(法橋とかの)位を授けてもらい権威付けし、生き残りを図った。

いわゆる流儀花の確立というか。

流儀花では寸法が大きくなることと、

立華の水際に当たる表現として立華のように、根元で一本の幹に見えるように生けられた。

花の起きさも抛入花よりは大きく生けられるようになり、サイズが60cmを超えると長短2つの線だけでは纏める事が難しくなり、もう一つの線が表現されるようになった。

それが天地人三才とかの意味付けと合致した。

流儀花は、武士層や町人に儀式の飾り花として支持される事になる。

祝儀花には祝儀事の意味付けがされる。

その名残がいけばなの世界の中に残る儒教言葉や仏教言葉で、深い意味など別にないものである。

明治以降は家元に役職や位を販売していた門跡寺院が寺領などがなくなり経営破綻しそうになって、その生き残りの為、名前貸しから実質の家元となった。というのは余談。


明治時代は女学校を中心に道徳教育の一環として生花を教えるようになった。

個人レッスンから授業になった為、教えやすいように生花は形式化した。

いけばなをやるのは女性とか、いけばなは道徳とか、いけばな=形式とかの常識がまかり通るようになったのは、ひとえに学校教育が弊害になっている。

元々は自然の枝ぶりをどう生かすか?とか一番感動した瞬間ってどう表す?心のフォーカスは?シャッターチャンスは?とかを追求してきたいけばなを、見事に没個性の道徳擬きにしてしまったのは、近代公教育の賜物ということらしい。

みんな家元制度のせいにばかりするけどね。過去においてはイノベーションの世界、独創性がなければ、支持されなければ、時代の変化に即した対応ができなければ、攻撃を交わす理論武装ができなければ、生き残れない世界を堂々と乗り越えて継続している。それを伝統って言う。

伝統を殺した真犯人は近代公教育に端を発する学校教育と教員だったりして……。


財政再建団体寸前のふるさとですか?

ふるさとは誰にでも同じものではない。

懐かしむ人もある。そうでない人もいる。

こんな人がいた。


元々ウサギなど住んでいるのを見たこともないが、宅地造成で緑を失った、かの山

小鮒はすでに生息しているかどうか疑わしい、セメントで固められ浄化能力のない、かの川

ちっちゃい利権に群がる欲の皮突っ張らかしたガリガリ亡者が集うふるさと。

雨に風につけても、滅んでしまえ。消えてなくなれと呪い続けるふるさと。


またですか?

一体何があったんです?


聞いてみると、久々訪れた故郷がえらいことになっていたのだそうだ。

河川改修で国から補助金得るために、役場と業者が結託して、川底にまでコンクリートを貼り付けてでっかいドブにしてしまっていた。

人権絡みだったから、変だと思っても誰も声を上げなかった。

工事反対=人権侵害

反対者=差別者

になりかねないからだとか、

その辺の理屈はよくわからない


もちろん、その人の意見が正しいのかそうで無いのかわからない。というか、その辺は興味ない。


ただこの人のふるさとでの境遇って凄まじいものがあったような気がする。


田舎の古い家はプライバシーの保てないというか、プライベートを否定する構造だった。

田舎は精神衛生上良くない人間関係と、ヒーリング効果のある自然のバランスでどうにかこうにかの場所、

村落共同体の因習、閉鎖的に人間関係。

唱歌「ふるさと」なんて、やっと逃げ出すことが出来たと言う余裕から生まれた歌っぽい。

山や川が死んでしまえばそこで生活する価値など全くない。デメリットしかないからである。

彼はその少し興奮気味で言葉を続けていた。

人権絡みで批判するのはリスク高すぎでしょ。大義名分の怖さ知らないでしょ?


けど、人権擁護って言葉、不謹慎ながら私が連想するのは動物愛護センター。

言葉など、知らぬ間に真逆の意味に

すり替えられていたりするのではなかろうか?

アテンションプリーズアテンションプリーズ





幽霊と妖怪、どっち取る?

f:id:Ryukeyjunken:20140915190242j:plainwebで見つけた怖い話の類は、何と無く妖怪全盛の感じがします。 今時の人って、死んだら妖怪化するイメージのほうが強いようで、場所限定の出現とか、対象が不特定多数だとか、登場する故人様が、池田弥三郎さんや柳田国男さんとかの、民俗学者の区分認定にかからない存在になっているみたいです。 プラットホームやビルから延々堕ち続けている方も、曰く付きマンションやアパート・廃屋・樹海などに出現する方も、幽霊という矜恃に欠けておられるように思えます。 虐められて亡くなった方がいじめっ子や陥れた人に徹底的復讐をする話は、とても幽霊らしい話で復讐がサイコでスプラッタな程、苛めっ子の末路に救いが無い程、共感できるようです。そういうのって勧善懲悪好きにはたまらないですよね。

そして、妥協とか許しは大ブーイングものになる。 でも……、この辺って何か堕とし穴を感じます。 幽霊より妖怪化する霊の話が無難f:id:Ryukeyjunken:20140915190345j:plainなのでしょうか? 多分、心理描写とか、キャラクター設定が、幽霊を扱うと定型化してしまうからだと思います。 そして一定の個人より不特定多数が対象になる設定の方が、今の時代の怪異表現として共感しやすいからかもしれません。

国内ヘイト

アニメやドラマを見て、かなりヘイトなメッセージを持った物があったりします。 今年の前半までやっていた「弱虫ペダル」の御堂筋の描き方を見ると作者が嫌関西の人だろうと思われ、ネットで検索すると、案の定、九州エリアの人でした。 これまでせっかく良いメッセージを出していたのに、残念でした。
 途中で観るのが辛くなり観なくなりました。
結末が分からないのでなんとも言えませんが、どんでん返しがあったら嬉しいです。 
で、関西ではこの真逆の認識。 原因は多様だろうが、その一つは多分、九州の関西人、関西の九州人という流入者と地元の軋轢だろうと思います。昔から、交流が深かった分、闇になる部分も多いようです。 
単に言葉の違いや生活習慣の違いだけで嫌悪意識…差別意識が発生するわけでもありませんが、人間の好き嫌いを決めるのは思考以前の第一印象だったりもします。 
こいつ嫌いの最終決定をさせるのは、必ず違和感とともに心に激痛をともなうインパクトがあるのです。 流入者の中には出身地にさえ順応できない人もいて、反社会的な行動に奔る人もいます。
そういう人との出会いは災難としか言いようがありません。 
騙される。金品を奪われる。ハラスメントを受ける。 
ヘイトなイメージをお互いに増幅するメッセージを伝えることは、いずれ共倒れの憂き目を見る事になります。 
しかも関西から九州、九州から関西と火種を供給し続けているし……。 
関西弁が抜けない私の経験ですが、福岡市に用事で行った際、タクシーで博多から西区に行くのがかなり遠かったし、山を幾つも超えた記憶があります。
 帰りは街中を通る広い道を駅まで送っていただきました。所要時間は、あっという間でした。 
行きも帰りも、博多から目的地までのルートでは、途中山を通ることはないとのことでした。
善意に解釈したいですね。なんとか……。